自分の子供の心が砕ける瞬間を目にして
とっさに私がしたこと。
何が正しいかなんてわからない。
今になってもどうすれば良かったか答えは出ない。
でも将来、その過去の選択を正解にする方法はあると思う。
まずは、良いと思うことを選択して行動してみることが重要だと思う。
夫婦関係は良好。
子供たちは私が家に帰ると
玄関まで走ってきて抱き付きます。
でも下の子が生まれるまで、
上の子の態度は、私にビクビクしていたし、
意見も言えなかった。
下の子が生まれて、
兄としてマウントを取るようになり、
怒られるようなことを繰り返したり、
家でプンプン怒ることが増えてきて
ある時、
「どうしてこうなるの?!!!」と
泣いたんです。もうヤダぁ、なんでぇ~って。。。
本当はどういう家族でいたいのかを考える
「あなたの理想の家族像はどんなことを大事にしていますか?」
良い家に住むことですか?
美味しい外食をすることですか?
良い車に乗ることですか?
たぶんちょっと違うんじゃないでしょうか?
「いや違わない、良い家が大事」という方は
違うページを訪ねてください。
私の頭に最初に浮かんだのは
家族みんなの笑顔でした。
そして子供が泣いた瞬間、
はっとして後悔したんです。
理想と現実
泣いているわが子を見て
しばらく何で泣いているのか
理解ができませんでした。
たぶんこれまでの自分なら
「そう思うだろ?だったらこうするしかないと思うよ!」
みたいな。
彼の弱さや考え方を
私の目線でアドバイスしたり
原因や理由を論理だてて
分かりやすく話したりしたと思います。
そして最後は説得するように言ったのだと思います。
でもその時ばかりは、
直感的に
「あ、これはダメなやつだ」
「今までと同じじゃ、この子は崩れちゃう」
と思ったんです。
とっさに
周りの家族に
「なんでもっとこの子の話を聞いてあげないのか」と
意見していました。
確かに周りにはワガママに映ったかもしれません。
でもそれは彼なりの正義や言い分があっての
主張だったのです。
そして、
「私は君の見方だよ。
これから先、君が何をしようと
100%君の見方でいるから
安心して。」
と伝えました。
それを聞いた彼は
私の胸でしばらく泣きました。
子供の頃のできなかったことは覚えていない
大人は必ず子供の頃の経験があります。
しかし、その時どれだけ自分の考えが
この世界に適応していたのか、
または世の中の理屈やその矛盾を理解していたのか
覚えてはいません。
例えば、おもちゃが欲しいと
ねだったけど、我慢してきた記憶は
あるかもしれませんね。
泣きながら諦めた分別ある自分を
覚えているかもしれません。
でも、
はじめから諦めていましたか?
恐らく何回も何回も
ねだってダメだから
諦めるという手段を
身に付けたのだと思います。
単純に我慢することや
分別ある考えを持つことは
成長段階で少しずつ身に付けるもので、
自分が思っているよりも
ずっと大人になってから
身に付いてくるものです。
それまでは何故だか分からない
悔しさや苦しさに
単純に耐えて生きていくのです。
ただ、その支えとなるのが
家族であり、親の存在です。
何をしても愛してくれている。
どんな自分でも愛情を与えてくれる。
そんな安心感から自己肯定感がはぐくまれます。
つまり私たちは
幼いころから自分の思うよりも
長い間、周りの大人に許されて育ってきたということです。
親にも都合がある
分かっていてもついついキツイ言葉になることもあります。
それが悪いことではないということは
先に言わなければなりません。
親も辛い状況や環境があります。
人は辛いときには厳しい言葉を言ってしまう。
そういうことを学ぶのも
子供には重要な学習です。
きっと大人になればわかることです。
自分を責める癖
親が落ち込んだり
暗くなっては子供に良い影響を
与えることはできません。
でも自分を責めてしまうという人に朗報です。
大人は子供にはできない技を持っています。
それは、
自分で自分を認めるということです。
もし自分を認めることが
苦手と感じているならば、
次のように考えてください。
誰しもあなたと同じ環境で育ち
あなたと同じ状況なら
同じことをしています。
あなただからというわけではないのです。
だから、あなたに問題はなく
あなたは存在しているのだから
素晴らしいということなのです。
「子供は生まれた時に
一生分の恩を返すとも言われます。」
それだけの幸せを多くの人に
与えているという意味です。
想像してください。
あなたが生まれたとき
どれだけ多くの人を幸せにしたのか。
誰に遠慮することもありません。
あなたはやりたいように
生きて良いということなのです。
それでも難しい場合は、
寝る前に
自分の身体を自分の腕で
抱きしめましょう。
ありがとう。良くやってるねと。
毎日布団の中でやるだけでも
自分を責めがちな人も
楽になると思います。
子供のイヤイヤ期は苦しんでいる証拠
子供には2歳から3歳で
イヤイヤ期と言われるものがあります。
何を言っても「イヤ!」
駄々をこねているように思えます。
ただこれは混乱をうまく言葉にできず
そのように言っているのです。
赤ちゃんは自己の認識などなく
母親と同じ存在として自分を認識します。
成長とともに自己を他者と違うものと
認識し始めると
今までの世界観が崩れ
不安と恐怖で一杯になります。
それがイヤイヤ期です。
できればその時、
親としては
同じパターンで生活することや
前もって予定を話してあげたりすることで
子供が安心や変わらない環境にいられるように
心がけるとよいと言われています。
ここで言いたいのは、
イヤイヤ期をどう過ごしたいかではなく、
大人と同じ考え方が出来るようになるには
かなりの時間がかかるということです。
子供のワガママや聞き分けのなさは
脳の成長段階における
正常な子供の反応で、
その時、
子供も苦しんでいるという事実を
知ることがとても重要です。
小学校高学年でも甘えん坊
小6の上の子は
よく甘えた声でお願い事をします。
あれ取って、一緒に来てなどにはじまり、
下の5歳のやることに対抗して
自分が上だと見せつけたりして
親の注意を引こうとします。
どう考えても
逆効果で
「どうして下の小さな子の言うことを
真に受けてしまうのか?」
「下の子に勝ったと見せつけて
親が喜ぶと思っているのか?」
と考えてしまします。
これも親の注意を引こうとしているだけ。
たまに注意されたことをまたやってみたり、
嫌味を言ったり、反抗してみたり。
これも親の注意を引きたいのと、
これでも自分を愛せるのかと
テストしていたりするのです。
愛情表現は遺伝する
親の注意を引きたくて
いたずらをしたりするとき
親が怒って反応すると、
それが愛情だと感じるようになり、
怒られることを繰り返すようになります。
怒られないと物足りない。
その子が親になったとき、
子供に愛情を示す手段が
怒ることになりがちなのは
愛情=怒ること
だからです。
もし怒って愛情を伝えているつもりではないならば、
子供がイタズラや注意を引くようなこと
をしたときには、
冷静に対応するのがベターです。
「それは○〇ちゃんが悲しむからやめようね。」などです。
甘えやイタズラなどをやめさせる方法
その子を認めてあげることが一番の近道です。
子供のやることすべてに
正解を求めてはいけません。
子供は常に成長過程で
苦しみながらもがきながら
学んでいます。
出来たことを小さいことでも
認めてあげましょう。
大袈裟に「すごーい!」などと
褒める必要はありません。
出来たことを
客観的に
「今日はこれができたね」とか
「この前はできなかったけど、今日はできたね。」
で十分です。
それで子供は親が見てくれているという
安心感を得ることができます。
その安心感や自己肯定感を
土台にして
新しいことにチャレンジしていきます。
決して子供が言い出したことを
否定してはいけません。
一度全部聞いてあげること。
どうしてそう考えたのか
聞いてあげること。
自分で考えたことや意見であれば
それを言えたことを認めてあげましょう。
親の意見はそのあとで言えるのです。
仕事から帰ると玄関まで走ってきて抱き付く子供
「聞いて」「認める」を実践して
実際に変わったことは
子供が私の帰宅時に
玄関まで走ってきて抱き付くようになったことです。
小6なので身体は大きいですが、
全力で受け止めます。
ムツゴウロウさん並みによしよしします。
寝る前にもハグを求められます。
もちろん、この年で求めるのか?と
思いながらも
求めているのなら必要なのだと
割り切って
全力で応えます。
この全力で割り切るというのが
ポイントです。
下の子の寝かしつけで
絵本を読んでいたが、
最初は5冊だったものが、
今や1ページで寝るようになった。
こちら。
これもその全力でがキーワードだと思います。
子育ては親育て
「親は、子供に親にしてもらう」と言いますが、
まさにその通りだと感じています。
この子たちがいなければ
このような考えには至らなかったでしょうし、
子育てによって
人に優しくなれた気がします。
子育てで学ぶ必要のあったことも沢山あります。
子供の身体や発達のしくみや
子供の心や親の心。
子供がいなければ
こんなに他人のことを考えることは
無かったかもしれません。
親の考え方を子供に押し付けていないか?
上の子が今までやってきたサッカーを減らしても
野球をやりたいというので、
野球を始めることにしたのです。
テレビでの野球の試合観戦が好きだったり
ゲームでも野球をしています。
バットやグローブが欲しいというので、
おさがりのグローブと
ボールを買ってあげると
楽しそうにキャッチボールをせがみました。
バットも欲しいというので、
借りてきたバットで毎日素振りをするなら
買ってあげようと思い
様子を見ました。
しかしいっこうに自主練習は始まりません。
早起きはするものの、
録画を見るばかり。
ついに私は
「それじゃ頭でっかちで
口だけの男じゃないか。
皮がむけるまでバットを握って
素振りでもしてから
野球を語れ。」
私は少しでもうまくなりたいのなら
自主練はしなきゃいけないし
当然他人よりうまくなるには
他人以上の努力が必要だと思うので、
そのことを伝えたつもりでした。
しかし彼は口をつぐんで
目がうつろになり
下を向いてしましました。
私は何を間違ったのでしょうか。
途中で気付いたのですが、
その時私は、
私の価値観を強要していたのです。
強くなりたいなら他人より練習して、
最後には勝ちたい。
運動する人間はみんなそうだと思っていたのです。
ただ、それは間違いでした。
私の小学生の時の仲間も
そんなに本気ではない子もいたなぁ。
その子たちに本気でやれなんて言わなかったし、
それはそれで楽しそうだったと
思い出したのです。
知らず知らずのうちに
自分の価値観を子供に押し付けていたのです。
怖い怖い。
それこそ楽しさが感じられなくなるし、
そのまま続けていたら
後ろめたさが出るに違いありません。
親の期待に応えられていないのですから。
そういえば、
私自身。
高校は進学校で、入試ではトップから
一桁という順位でしたが、
それから親が行くように仕向けた塾に
イヤイヤ行って、
卒業時には後ろから数えた方が
早い順位になっていました。
やはり親の思うようにはならないし、
そもそも親とは全く違う人間なのですから、
一人の人間の考えを尊重するということを
第一に考えなければなりません。
また、それも親として学んだことの一つでした。
自分とは分離する
子供との関係は、自分と分離すると
良い関係になります。
自分の想いや、親の考えなど、
全てが重荷になります。
選択肢を与えてフラットに選ばせましょう。
難しいけど!
話をするときも
とにかく楽しむこと。
目の前の子供というより、
一人の人間とのコミュニケ―ションを
出来るだけスムーズに円滑に保つことを考えましょう!
話すことが楽しければ
なんでも話す子になるでしょう。
自分を肯定してくれるなら
なんでも相談するでしょう。
大丈夫。
あなたの思うのとは
違う常識で考えたり動いたりしているだけです。
子供は大人の予想をはるかに超えていきます。
信じてあげましょう。
子供の将来はきっと明るい!
だから、大丈夫!
お勧めの本
ミヒャエルエンデ作 モモ。
これは本として単純に面白い!
そして子供の頃何を考えていたか。
人生で何が大切か。
一つの答えをモモが身体を張って
教えてくれる一冊!